最近、疲れているせいか集中力の持続が悪い。1時間勉強したらネットサーフィンでおぼれる、、、というのを繰り返している。
そんな中、ふとこの記事が目にとまった。
AERA「国内屈指の進学校「灘」の真実 東大94人、京大51人が合格する圧倒的結果に「精力善用」の校是」より。
この記事を見ると、灘の生徒は「受験のためではない勉強」を、中学から入学した者は6年かけて勉強するらしい。上記記事のインタビューに答えた校長の話によれば、「科学オリンピックでもメダルをたくさん取ってきますが、もう教員は一切関与していません。先輩からのアドバイスもあり、生徒同士の自主ゼミのような学びが盛んです」という。つまり、科学オリンピック等でメダルを獲得するために勉強するのではなく、知的好奇心に駆られて勉強を進めた結果が形として現れたというのである。
・・・ん?ちょっとまてよ?これって、司法試験への勉強に使えるのではないだろうか?
これまで私は、ひとまず「司法試験の合格」を掲げて法律の勉強を続けてきた。その延長線上に、私の理想を実現させるための「即独による法律事務所開業」であったり、「事業の法人化」であったり、「鉄道会社の買収」であったりするのだ。そしてかかる手段も、それ自体が目的ではなく、「多世代が豊かに暮らせるまちづくりを後世へ遺す」という最終目標のための手段に過ぎない。(まちを遺すのではなく、「まちづくり」というノウハウを遺すことが注目ポイントだ。)
しかし、そもそも「司法試験に合格するために司法試験の勉強をする」ことが間違っていたのではないだろうか。たしかに、合格しなければ司法修習へ進めない。だが、合格のために勉強せずとも合格するやつは合格する。なぜそのようなやつが合格できるか、上記の記事ではっきりと理解できた気がする。
これは、上位ローが合格テクニックを教えないにもかかわらず、司法試験合格率が高い点と合致するのではないだろうか。そして、今やほぼ全てのロー生が何かしら予備校に通っているにもかかわらず、ロー毎の合格率に差が出ているのは、(私も反省すべきだが)上位ローの者ではないロー生が、「司法試験合格」という手段を目的化していたからではないだろうか。
かつてJR東海が新幹線乗車促進のために掲げていた「そうだ、京都、行こう」的なノリで、「そうだ、未来のために、勉強しよう」をスローガンに掲げて、このように発想を転換して勉強しよう。
いや、もう勉強するのはやめよう。よくよく考えたら、今回の成績も、特段勉強しなかったというか勉強を意識しなかった法学実務基礎とビジネス法務演習がAで、勉強を意識していた家族法がDだったではないか!よし、勉強ではなく、私のやりたいこと→法律知識の吸収と実務として使えるようにすることをしよう!(といってもやる内容は変わらないがなw)