鉄道オタクはなぜ「経営者」気取りなのか? ネットが歪める鉄道愛の現在地! 穏健派オタクは大迷惑? その知識を社会の資産にする方法とは
今は執筆している余裕がないので、あまり込み入った話ができないのだが、もしも、鉄道事業だけにフォーカスしている鉄道オタクを「経営者」気取りする鉄オタだと言うならば、それはちょっと違うんじゃないの?・・・というのが、この記事を読んだ私の感想である。「鉄道事業者が求めているのは、
「鉄道を地域や社会の中でどう活用するか」
といった視点に基づく意見であることが多い。単に利益を上げるだけでなく、社会のニーズに即した方向性を模索する姿勢が求められている。」
・・・と、ちゃんと記事で言及しているのに、経営者気取りの鉄オタに対する批判と、より良い議論をするための提案が全て鉄道事業やその他交通事業の話で完結しているのは、非常に残念である。
あと、「A列車で行こう」や「シムシティ」は、厳密に言えば単なるフィクションに過ぎず、(あくまで持論だが)経営シミュレーションゲームのような何かであって、経営シミュレーションゲームそのものではない。極端にいうなら、いずれのゲームも「経営」ではなく「独裁」である。法的視点は無視できる(違法建築物を建て放題だ)し、自治体や国土交通省、沿線の利用者などの意向を完全に無視できるからである。これに感化された鉄オタを経営者気取りの鉄オタだと言うのならば、それもちょっと違う気がする。
仮に、私が上記の記事にいう「経営者気取りの鉄オタ」だと言われようものなら、それはちょっと心外である。