鬼は外、福はさらに外(2024.02.03)

どうやら今日は節分らしい。節分の翌日は立春である。言葉が紛らわしいからといって間違っても「接吻」と言い間違えてはならない。

そんなことはどうでもいいか。読者の皆様にとって「春」が訪れようとも、私の人生はまだ氷河期の最中にある。新しいキャリア、新しい進学先、新しい未来。それぞれポジティブな春が訪れている方が大半であろう。

これに対し私は、本来目指すべきであった「多世代が豊かに暮らせる都市社会を遺すこと」が限りなく夢となりつつあり、ついにこの年齢にして私の進路のゆくえがわからなくなりつつある。今回は、そんな「キャリア」に関する記事を書こうと思う。

今、既卒3~4年目にして、すなわち就活3~4浪目の方は、わが国においてどれほど残っているのだろうか。ここでいう「既卒」とは、狭義の既卒のこと、すなわち「内定がないまま卒業し、正社員としての就労経験が一度もない方」を指すことにしよう。企業にお勤めの方は「第二新卒だが第二新卒としてのメリットがない方(ビジネスマナーを適切に学ぶ機会に恵まれなかった方)」をご想像いただきたい。
・・・果たして「特定の業界」を志望し、これに向けて就活を諦めきれない方は、この年齢にもなればもはや私しか残っていないと思うのは気のせいか。

私が理転に2度失敗する前は一貫して鉄道業界の総合職を目指していた。学部の就活において事務系総合職に落ち、その失敗から再び挑戦するために今度は技術系総合職からもエントリーできるようにするべく、理転を志したのだ。

ここで読者の皆様はこう思うかもしれない。「中途で入ればいいのでは?」と。

そう。この疑問には私も同意する。中途でその会社の代表取締役に就けるのであれば、そのような謎のこだわりをする必要がなかった。というか、時間とキャリアの無駄遣いである。

にもかかわらず、私がかかる進路にこだわったのは、わが国の鉄道会社総合職の大多数は新卒しか採用していないという、業界特有の事情があったからだ。中でも、(今だからいえる。どういう了見か知らんが)「職歴がないこと」をエントリーの要件としている会社も存在する。風通しの「か」の字もない会社が多い、といえば強い批判を受けるかな?

ここで少し寄り道をしよう。わが国の業界で中途(といえば語弊が出そうだが)の者がCEOになる可能性を示した実例をもつ業界はどこだろうか? 例えば、自動車業界でいえば、CEOを外から招へいした日産自動車が真っ先に思い浮かぶであろう。そう、今日になっても話題の尽きない「カルロス・ゴーン」氏である。では、ゴーン氏の不祥事はさておき、日産のように(あえて)最高経営責任者を叩き上げや世襲ではなく外部の方に就任させるという思い切った企業風土を持つ企業が、果たしてわが国の主要鉄道会社に存在するのだろうか?

否。現時点において、鉄道業界にそのような会社は1社たりとも存在しないし、特別法や条例等によって代表取締役を外部から就任させるよう強制させなければ、鉄道という大量輸送機関が時代遅れになるまで叩き上げのCEOしか生まれないだろう。もうちょっと具体的に申し上げると、少なくとも2024年生まれの方が2110年頃まで生きたとしても、鉄道業界のかかる光景が変わることはない。もしこのブログを見たあなたが、私から見て100年後の人間であるならば、2110年頃の四季報(四季報が果たして100年も続くかは知らんがそれに準ずるやつ)を開いてみてほしい。そこに記載されている企業の社長は、私の考えが正しければいまだに叩き上げとなっているはずだ。

旅客輸送という点でいえば同類の航空業界において、日本航空(JAL)の社長に短大・CA出身の女性の方が就任されたことが発表されて日が浅い。JALの経営陣が後継者として彼女を選択したのであれば、これに文句をいえるのは議決権を有する株主しかいないと私は考えている。JALの利用者や、ましてや従業員がかかる人事に不満をいう権利があるという方がもしいたのであれば、それは彼らのエゴでしかないし、彼らの考え方が企業風土を陳腐化させる危険性を有している、と私は批判したい。たしかに叩き上げであり、外部から招かれた「プロ経営者(この表現については後述)」ではないが、それでも18歳で形成された形式的なスペック(例えば東大法学部卒・早大政治経済学部卒などの綺麗な肩書だけで経営者を選ぶ企業は極端すぎて論外だが、それ)ではなく、これまで会社に貢献したバリューが総合的に評価された(と思われる)結果の人事異動がなされたことについては、わが国においては大きな進歩ではなかろうか。

この航空業界の変わりつつある風土が、鉄道業界にも影響を及ぼすかといえば、私は個人的にそうであってほしいが、おそらく私が息を引き取るまでそのような理想は実現しないだろう。

さて、上記の話を念頭に置きながら話をもとに戻そう。多世代が豊かに暮らせる都市社会をわが国で構築し、そのモデルを世界展開させるには、大量輸送機関として「人の足」を持つ鉄道会社が主導で行う以外のほかはない。「デベロッパーもまちづくりができる」などと言われているが、それは違う。そのような方に聞きたいが、「ならば、トヨタが進めていたウーブン・シティとやらの進捗はどうなっている」? 自動車に依存した都市の発展には限界があるという話は、今から約60年以上前のブキャナンレポートで証明されていたはずだ。これは自動車が空を飛ぼうが、潜水艦のように海中を進もうが変わらない。鉄道が主体ではなく不動産が主体となった都市社会の構築には、このように「鉄道なしでは語ることのできない」課題があるのだ。そこに線路を引くか引かないかのトリガーは、国や自治体がかかわろうとも、結局のところこれを運行・管理する「鉄道会社」の意思表示にかかっているのだ。

したがって、海外ならばともかく、少なくともわが国で私のやりたいことを成し遂げたいのであれば、まずその手段として鉄道会社に就職し、そこで全事業の執行において責任を負うことのできるCEOになることが「要件」となる。その要件を満たすためには鉄道業界の「現実」を知る必要がある。その現実が、かかる道の実現のためには新卒で入社しなければならないという、根拠なき理不尽な狭き門にあった。だから私はその門をくぐるためにあの手この手を尽くしてきた。

そうでなければ、村上ファンドやサーベラスのように実力で鉄道会社を買収するという手段に踏み切らなければならない(もっとも、村上ファンド等は私の考えとは異なる目的で買収を試みようとしていたようだが)。他方で、彼らが鉄道会社の経営権を支配できたかといえば、皆様がご存じの通り、沿線住民と経営陣の感情的かつ猛烈な反対に遭い、実現しなかった(球団を上場させようとしたり、不採算路線を廃線にしたりと、沿線住民の伝統と感情を無駄に逆なでさせた単なる自滅にも見えるが、気のせいかな?)。私が自ら投資ファンドを持ち、かかる行為をするということは、目的がどうであれ沿線住民からは「村上ファンド」のように見られるという覚悟を持たなければならない。そして、大手私鉄1社を完全子会社化するために必要な買収金額はおそらく世界最大級の40兆円程度が必要と思われる(これは一部の先進国の国家予算そのものに匹敵する、わけのわからない金額である)。かかる金額の根拠は敵対的買収(同意なき買収)に発展した場合に会社の取りうる選択しとして焦土作戦を展開された場合に用意すべき金額にある。この点、早く司法試験に合格のうえ、正確に試算できる技術を身につけたいものよ。

私は一生をかけて、来るべき時にかかる行為に踏み切ることができるよう、その手段の1つとして弁護士を目指し、わが国、いや、アジアを代表する巨大弁護士法人の設立を夢見ていたのであるが、今はこのざまだよ笑

さて、年齢も年齢だし、失敗を重ね続けていよいよ鉄道会社への就職は現実的にあきらめることを余儀なくされた。

しかし、果たして「今の私にもはやほかの業界で都市開発の事業をしたいという思いが残っているのか?」という疑問が出ている。
一昨日、私自身の進路が迷走していることから、転職等に詳しい先輩に進路に関する相談した。終電ぎりぎりまでお付き合いいただき、感謝申し上げたい。

ここで、やはり疑問に感じたのは、もはや私に不動産やショッピングモールの開発といった他業界での活躍に私の活路を見出す気力が残されていないのではないか、ということだった。

仮にかかる業界に就職できたとして、私が自らの進路に今更妥協できるとも思えないし、そこから鉄道会社の経営に携わることのできる機会に奇跡的に恵まれたとして、世間からは「プロ経営者」と揶揄されるだけだ。何かできるわけでもあるまい。

そう、プロ経営者ねぇ。今日の記事で驚くべき内容の記事を見つけたよ。

「プロ経営者」とは、その名の通り企業の経営を行うことで企業価値を上げたり、収益改善を図ったりする者のことをいう(と、少なくとも当時の私は認識している)。MBAを獲得された優秀な方も、資格持ちプロ経営者といえるかもしれない。しかし、外国ではともかく、わが国ではどうやら軽蔑的な表現で使用されることのほうが多い。就活経験が豊富だが希望する内定をもらえていない「プロ就活生」と同じ考え方なのかもしれない。

・・・「プロ野球」「プロサッカー」「事業再生のプロ」のように事業内容にプロがつくと尊敬の表現が混ざるのに対して、「プロ経営者」「プロ就活生」「プロ投資家」といったように肩書にプロがつくと反対に軽蔑の表現が混ざる場合がある点について、日本語は面白いなぁと感じる私であった。なぜだろうね。

「プロ経営者の多くは起業したり、潰れかけの会社を再生させた経験はおろか、安定した状態の企業においてさえ自分の裁量で全体の経営方針を決定した経験がない」

「経営するのが難しい企業(民事再生法適用会社など)-に経営の経験のないプロ経営者を投入したところで良い結果が出る可能性は低い。」

このような記事が目に飛び込んできた。

たしかに、ものは言いようである。しかし、それは私から見れば「食わず嫌い」でもある。

今から5年前に六本木で出会った外国人の社長が話していた言葉がここで頭をよぎった。

「新卒でコンサル(特に経営コンサルや戦略コンサル)に行くやつは馬鹿だ。社会人としての経験が何もないのに、社会人経験豊富な経営陣に対して何をコンサルできるというのかね!」

わが国にいる外国人の社長でさえこの思考なのだから、とりわけ保守的な経営陣を抱えている企業も同じ考え方を持っていることに強い推認がはたらくのは想像に難くない。

このように、たとえ不動産や金融機関等の他業界から私のやりたいことを出発させようとすると、他社の「プロ経営者というレッテルを張る思考」という、私にはどうすることもできない定数にぶつかる。つまり、私のやりたいことは、突き詰めれば結局のところ鉄道会社に新卒で入る以外に実現不可能なものであったのだ。理論上は金による力づくでの買収でやりたいことを実現させることは可能だが、果たしてそれが沿線住民にとっての幸せに寄与するかといえば疑問であるし、公正取引委員会等が黙っていないだろう。

ちなみに、私は外部から招へいするCEOをプロ経営者と揶揄する思考に対しては断固として拒絶したい。これが経営の知識を単なる学問の域を超えないものとして見下してきた結果、少なくともわが国の経済衰退を招く要因の1つを作出しているものと信じているからだ。

以上、私が進みたかった理想と現実について整理をした。つまるところ、私には一旦上記の理想を捨てて進路の大幅な修正を迫られている状況にある。まともな就職ができるとは思えないが、ひとまず私のやるべきことは、私の思想がどのようなものであれ、少しでも法律か都市計画・開発に携わることのできる、生活の安定する企業か法律事務所に就職することだろう。お金がないから起業できないといっているやつは一生起業しない、とか誰か言っていたっけ?でもさ、私は機械ではないからマズローの第1段階の欲求が脅かされている状況で起業できと思うか?それは無理な話だろうな。そうであれば、さっさと取得できる資格は短期間でしっかりと死に物狂いで取得して、開業のための資金と生活のための資金を集めることが先決だろう。

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著者情報

大学法学部卒業後、電鉄系、法律事務所での勤務を経て、法科大学院へ進学する。果たして筆者は無事に司法試験と司法修習を突破し、「弁護士・外国法事務共同弁護士法人」を設立のうえ、日本を代表する大手事務所へ成長させられるのか!?
とある司法試験受験生のブログです。

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