「あなたを動物・植物・物体に例えると、何ですか?」
…とまぁ、面接では思わず張り手を相手に食らわせたくなるほどのくだらない質問が飛んでくることがあるのだが、私は、線路に生えている草を見つけて、「これだ!」と、1つの答えにたどり着いた。
やなこさん「【オリジナル曲】御社の犬になります(MUSIC VIDEO)」
この動画は、私が人生で初めて新卒の就活に乗り出してから約3か月後にYoutubeでリリースされた曲である。今でも、面接官との面接では常にこの曲を頭の中に流して臨んでいる…というのは、嘘です。すみませんでしたw
おっとっと、、、私がたどり着いた答えは、「犬」ではない。
「御社の犬!御社の犬!御社の犬!御社の犬!御社の犬!御社の犬!御社の犬!御社の犬!」
「お前も犬(失礼!w)!俺も犬!お前と一緒にケルベロス!!」じゃねぇんだよwww
さて本題に戻ろうか。線路に生えている草を見て、私は、「私を植物に例えるならば、線路に生えている草です。」と答えるようにしようと思う。なぜか。
それは、結論から言うと、過酷な状況に置かれている中で、なお強い根性と努力で生き続けている姿が、今の私と合致しているからだ。
「線路の上を走る普通列車」。これは、就活はしたものの第一志望の企業から内定が貰えず、不本意にも他社で就職し、一般的な生活をしている社会人をいう。これから目指したい夢はないし、出世意欲もないが、正社員という今ある身分に満足し、低年収ながら家族と幸せな生活を営んでいる。だが、これらの人生は、幼少期から両親や周囲の教員、そして企業が懸命に敷いたレールの上を、忠実に走る平凡な人生に過ぎない。当然、私はこのような生き方を否定するつもりはないし、むしろ憧れだった。そんな彼らを、私は「線路の上を走る普通列車」と呼ぼう。
「航空機(エアバスA320などの旅客機)」。これは、第一志望の企業から内定をもらえただけではなく、更なる高みを目指そうと奮闘するプロ社会人をいう。航空機は、当然だが線路の上を走らない。しかし、航空機には人と空港が必要だ。そして、人を運ぶ場合は、一般的に空港までアクセス鉄道が敷かれているほうが望ましい。また、上述した「線路の上を走る普通列車」が人を空港まで運ぶことではじめて「航空機」はその価値を発揮する。したがって、レールの上を走る生き方を知っているが、あえてこれを利用する一方で、自身は自身にできる価値を自覚して、レールの上ではなく、その上にある空を飛び、線路上では決して実現できない速さで成長していく。普通列車が現業社員ならば、航空機は経営幹部または経営者である。私が鉄道会社を目指していた頃は、まさに「航空機」を目指していた。
「線路」。これは、第一志望の企業からの内定はおろか、他社への就職もままならず、正社員になりたいにもかかわらず不本意にも非正規として働く社会人をいう。普通列車や航空機は、原動力さえあれば、自走できる。だが、「線路」は自走できない。そして、普通列車や航空機は、本来の役目を果たせなくなったとしても、転職できる。たとえば、JR九州に所属するキハ47系気動車の中には、当初はただの通勤通学用列車であったにもかかわらず、その役目を終えると全身を金色にまとった特急「或る列車」として転職を果たしている者がいる。かつて20年ほど前には当たり前のように飛んでいた元ANA・JAL所属のボーイング747-400Dも、貨物機などに転職を果たしている者がいる。だが、線路は転職できない。しかも、新しい「線路」があればすぐに人員削減の対象として首を切られる。
だからこそ、「線路」という生き方は、エッセンシャルな存在でありながらいつ安定収入がなくなるかわからない、非常に危険な生き方である。
ところで、普通列車は航空機とは異なり、「線路」がなければ原則として自走できない。具体的には、(鉄道業界をみればこれが顕著なのだが、)正社員が上記のような普通の生活ができ、与えられた仕事の範囲内でビジネスを成功させられているのは、鉄道事業に絞って言えば、駅ナカのコンビニ店員や清掃員といった、非正規の従業員が裏で支えているからであることを、決して忘れてはならない。「普通列車」という正社員も、「線路」という非正規の支え(というか、就職氷河期世代の立場から言うと「犠牲」といったほうが適切か。これ)がなければ、走ることができないのだ。
が、それすら難しい状況に立たされた者もいる。それが今回の主役「線路に生えている草」である。どういうことか。
さきほどの「線路」は、その地位の不遇さを差し置いても、企業からその価値を認められたという意味で、どうにか社会で生きていくことは可能である。また、仮に線路としての役目がなくなったとしても、(運要素と過酷さを無視して)鉄という価値を見出されて「普通列車」に巡り巡ってなれる可能性を秘めている。しかし、「線路に生えている草」を放置して良い、むしろ価値があると断言できる鉄道会社がどこにも存在しないように、草に価値はない。そもそも、「線路に生えている草」に「内定」を出す鉄道会社はいない。しかも、草は鉄になれない。もちろん航空機の素材として使われるジュラルミンには尚更なれない。草は草である。
となると、写真にある「草」は、その生命という価値を見出されることなく、鉄道会社の手によって容赦なく刈り取られてしまう運命にある。これを放置すると、事故に繋がりかねないから、ある意味当然の結果である。
そんな過酷な状況にある草も、一発逆転の勝機はある。それは、廃線となった時まで生き残ることである。そうすれば、あとは自然に還るだけで、仲間の草が生い茂るようになる。そして、最終的には、線路と普通列車、それを管理運営する鉄道会社がなしえなかった幻想的な景色を私達にみせる。線路も普通列車も「路頭に迷う」し、航空機も新天地を見つけなければ普通列車らと同じ運命をたどる。形勢が逆転する。
草は、線路と普通列車を知っている。空を見上げれば、航空機の存在も知っている。草自身が彼らになれないことも、知っている。いずれ刈り取られる危険性も知っている。それでもなお、草自身は自らの生命のために生き続ける必要がある。ならば、草が草らしく生きるために、安全・安心に暮らせるように、今を必死に耐える根性と生命力を身に着けて、生き続けなければならない。
私は、そんな「線路に生えている草」の状態であり、この「草」を見習わなければならない。
だから私は、面接官に、「線路に生えている草」だと答えるのだ。
ちなみに、「線路に生えている草」の正式名称は、「ヒメムカシヨモギ」らしい。別名「鉄道草」という。