3月10日。私はある2つの記事に目が止まった。
多くの大学生が経験する「悲劇」…就活に「失敗する人」に足りないもの(現代ビジネス)
大手メーカーを早期退職した59歳男性「退職金4000万円上乗せ」も大後悔のワケ(日刊SPA)
今日は、私の就活体験談をもとに、上記2記事を閲読した感想と今後の就活のあり方について論じてみよう。
就活失敗を語る前に
何を隠そう、私自身も最終的には就活に失敗し続けてきた人の1人だ。そのようなことは読者の皆様は周知の通りだが、初見さんの方にあらためて私の就活について説明しようと思う。
もともと私は一貫して法曹になりたいと考えていたわけではない。大学2年生の夏に、筆舌し難いほどの挫折をした。司法特修という、今でいう「法曹コース」に準じるコースに進み、予備試験合格を狙っていた法律の勉強はもちろん、当時は優勝や上位入賞を繰り返し、大会新記録を樹立するほどエース級としてチームを牽引すべき立場にあった陸上競技だったがそれもできなくなり(その前の初夏がピークだったといえる)、人生で初めて、かつ、唯一自ら引受けた部活動(法律相談部)の役職を放棄し退部するほど動けなくなった。この挫折がなければ、そのまま飛び級か何かして京大や阪大、慶應といった法科大学院へ進学し、2024年時点で既に裁判官か弁護士の資格を取得して法曹界の第一線に立っていただろう。
また、私の性格上、もともとリーダーとして何かを成し遂げるという性格ではなく、どちらかといえば「すみっコ」としてこそこそとサポート役に徹したり、型枠にはめた執務に従事するほうが向いていた。そう、参謀役である。年収も「1000万円貰えて、博多で不自由のない生活を送りたいな~」と考えていたほどで、今のように野心があるわけでもなかった。
しかし、これが性格ごと一変する事態が起きる。上述した挫折によりGPAが3分の1に減り、陸上競技でもまともな戦力にならなかった私は、就職するという選択肢を余儀なくされたと思い、挫折から立ち直り始めた2年生の12月に就活を始める。見ての通り、ただでさえマイナス要素しかない私が、今就活のために動かなければ、内定はもらえないと危機感を持ったからである。
今は大学入学前から就活を始めるのが普通らしいが(大学の意義は何だろうと思うけど、、、)、当時は2年生の12月に始めるべき就活生はゴールドマンサックスやバークレイズ、GCA(現フーリハン・ローキー)やマッキンゼーといった就活の頂点たる総合商社の更に上をゆく者に限られていた。それ以外の就活生は3年生の4月から動き始めるのが普通だった(いやそれでも早すぎる気がするが)。
では、第一志望の企業は何にしようかと考えた。ここからは極めて偶然だが、幼少期から「シムシティ」や「A列車で行こうシリーズ」に没頭し、地元の街が発展していく姿を見るのが好きだった私は、阪急電車で京都から神戸へ向かっている最中に、かつて裁判官であった祖父の「国のために、社会のために貢献できる人になりなさい」という遺言(法的効果なし)を思い出し、「あぁ、これが私の天職だ」とひらめいた。
阪急電車は、ただ電車を走らせるだけではなく、百貨店(阪急百貨店)や地元の球団(阪神タイガース)、宝塚、コンビニやスーパー、ホテルや住宅、そして映画(東宝)まで、人々にとって身近な、ありとあらゆる生活に関与していたのだ。そしてこれは、国や自治体の力だけでは到底なし得ないクオリティのものであった。鉄道会社は、国よりも国らしいことができる、その地域の文化・文明を牽引することのできる唯一の会社であったのだ。文明は国から生まれると信じていた私にとって大きな衝撃だった。
したがって、ここで私の人生が決まった。すなわち、「まちづくりに貢献できることをしよう」と。その手段として、デベロッパーでも自治体職員でもなく、国会議員でもなければ総合商社の社員でもない、鉄道会社役員として経営の主導権を握り、まちづくりで国や社会に貢献しようという道筋が決定したのである。
しかし、就活を始めたばかりの私は、どうすればそのような会社に内定を獲得できるのか、一切情報がないばかりか就活ノウハウもない。
そこで、まずは阪急の創業者は誰か、調べた。その結果として、以後私が心から尊敬し、超えるべき存在として掲げている、本ブログでお馴染みの「小林一三」別名「逸翁」と出会った。2019年3月頃に購入した鹿島茂「日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三」(中央公論新社)は、2024年になった今も、自習室の机の上に置き、休憩中に何度も読み返している。
小林一三について語ろうとすると1時間くらいかかるので省略するが、結論として小林一三の思想に大きな影響を受けた結果、私は性格が約180度変わり、今のような指揮官型かつ野心のある性格になったのである。すみっコでこそこそとやる人間から、大多数の人間の頂点で旗振りをしたいと願う人間へ、性格が変貌したのである。
日本の就活には心の底から難儀した
さて、就活をするにはまず①自己分析をすること、次に②企業研究をする必要がある。①自己分析をした結果、上述のとおり巨大プロジェクトを牽引するには最適な人材となるような性格になった(というか、小林一三になりきるが如く、そのように私は暗示をかけてチューニングした。もっとも、当時の小林一三が就活生ならば、皮肉にも自ら創業した阪急、いや阪急阪神HDからの内定は決して叶わないといえる点について、私は見落としていたw)。
②企業研究の結果、以下の事実を知ることができた。そもそも阪急と阪神は文化や社風、沿線住民の雰囲気など、何もかもが異なっていたこと(私は九州の人間だったから、阪急と阪神がここまで仲の悪い会社であることは知らなかった)、阪急と阪神の経営統合のきっかけを作ったのが村上ファンドが阪神電鉄へ仕掛けた同意なき買収(敵対的買収)であったこと、当時の村上氏が阪神タイガース上場案を口にするという「禁忌」をしたことで沿線住民や野球ファンからの反発を買ったこと、阪急がホワイトナイトとして阪神を買収し、経営統合を行った影の立役者として当時GCAに所属していた佐山展夫氏がいたことが分かった。(ちなみに阪急&阪神vs村上ファンドについて、結果として村上ファンド側の不祥事が原因で阪急側の実質的な不戦勝に終わったが、もし村上ファンドが別件で東京地検から強制捜査されなかったらどうなっていたのだろうか。)
その結果として、第一志望を鉄道会社総合職、第二志望をM&Aアドバイザー(とりわけ、独立系M&Aブティック)として就活をすることが決まった。鉄道業界とM&A業界という、全く異なる業界を志望している理由は、この阪急阪神の経営統合がきっかけとなり、M&Aに興味を持ったからである。
3年生のインターンシップでは、エントリーした全ての鉄道会社で書類選考を通過し、一社だけインターンシップに参加することができた。なお、この時に某鉄道会社の総合職が出向しているという子会社へアルバイトとして応募し、主戦力として活躍することになる。ただし、当時の就活のセオリーは「他の業界もまんべんなく見てエントリーするように」とのことであり、エントリーする数も最低40社は出さなければならないという風潮であったから、ベンチャーから大手まで、IT企業から航空まで、ありとあらゆる業界へ進出した。鉄道会社も、一部を除きほぼ全ての業界へ進出しているから、企業研究という意味では最善の選択肢だったと考えている。
しかし、3年生の秋になると、優秀な就活生は内定を貰い始める。私もベンチャー企業や電力会社、外資系企業など複数社で最終面接に進んだ。中には初年度で700万円の年俸を提示する会社も現れた。しかし、結局のところ1社も内定を獲得することができないまま、鉄道会社の本選考へ進むことになる。
4年生の春になり、総合職を募集している、(西武HD、JR北海道、JR四国を除いた)全ての大手私鉄とJRへエントリーした。そこで唯一書類落ちしたのが阪急阪神HDである。ここで人生2番目の挫折を味わう。学生生活のうち1年間は、この会社の内定を獲得することだけに照準を絞っていたからである。ちなみにこの時、1度起業に失敗している。いや、失敗すら出来ていなかったのかも? なお、当初の私はセオリーに従い、約40社エントリーしていた。しかし、そのように就活に難儀していた私に目をつけたのが、阪急のライバルである日本最大の私鉄、近鉄GHDだった。だが、近鉄の本選考を受けている時に、既に私は就活から一度撤退しようと考えていた。ほとんどの鉄道会社でお祈りされていたからである。では、一度撤退をして何をしようとしたのか?それが、「学問的立場から都市計画を学ぶべく、理系院卒として再挑戦しよう」という理転である。
理系への進出
理転への決意が固まったのは近鉄の人事との面談においてであり、理転の検討については唯一その方にしか話していない。しかし、その人事の方がいなければ、私は理転が中途半端な結果に終わっていただろう。
やがて、まだ鉄道会社の選考が数社残っていたものの、選考で近鉄からお祈りされたと確信した私は、4年生の4月に、本格的に理転の準備を始める。もっとも、数学において微分積分はできるが複素数がでたら轟沈するほど理系に弱い私は、高校数学から始め、マセマの教科書を買いあさり、徹底的に数学の復習をした。
さて、志望校はどうしようか。四季報によれば、当時最も鉄道会社への内定者数が多かったのは京大院であった。意外にも東大院卒の内定者数は少なかった。しかし、東大院は「都市交通計画」という、まさに私にとってドンピシャな研究室があり、しかもその都市工学という分野は文系でも受け入れられやすいという体勢が整っていた。さすがに我が国の学歴の頂点で専門分野を学べば、鉄道会社はこれを不当に拒む理由はあるまい。その発想で私は勉強を始めた・・・のだが、早くも東大院は合格が間に合わないことを悟る。TOEFLの勉強が間に合わない。数学の過去問も取り寄せたが、年度によっては極めて難問が出されており、とても理系東大生には叶わない。
そこで、4年生の秋には京大院を第一志望とし、阪大院を第二志望とするようにした。阪急の内定を獲得することに集中するならば神戸大の院を第二志望とすべきであったが、研究室訪問の段階で折り合いがつかず、受験を断念した。
やがて、最も選考が進んでいたM&A業界最大手の企業の面接で失敗してお祈りされ、ついに志望する企業からの内定が0となった。秋選考を行っていた鉄道総合職の選考も全滅である。そして、高卒と同等の給料しかもらえない企業からの内定もついには獲得できず(自暴自棄になっていた)、お祈りされた企業はこの時点で総じて200社を超えていた。(あなたの就活の失敗原因は会社を絞らなかったからだ、という批判が来そうだが、残念ながら志望する企業が全滅するまでは40社に絞っており、全滅してから手当たり次第に160社ほどESを出していったのであるから、その批判は失当である。)ひょっとすると、私が社会で生きてもいいというお墨付きを社会から欲しかったのかもしれない。
ところで、1浪して理転する際に気をつけなければならない点があった。それは「職歴をつけてはならない」ということだ。当時の京阪HDの募集要項では、新卒(卒業見込み)であることに加えて「職歴がないこと」を要件としていた。同様に、ほとんどの鉄道会社は「正社員としての職歴がないこと」を要件としていた。もっとも、阪急阪神にはそのような縛りはなかったと記憶しているが、職歴がある1浪学生に果たして内定を出した実績があるのかはなはだ疑問であったから、結局のところ職歴をつけてはならないという縛りを自ら課すことにした。
そうすると、浪人中は自ら生計を立てなければならず、正社員として就職できないならフリーターになるしかないから、必然的に最低賃金すれすれの給料で長時間働くしかなかった。そんな中での理転への挑戦であった。
私のプロフィールに「電鉄系」と記載しているが、上述のとおり正社員になれない縛りがある影響で、その電鉄系の会社でフリーターとしてアルバイトをしていたのである。
1浪目は補欠合格、2浪目突入が確定した時に法律事務所へ
1浪目は阪大と京大を受験した。重回帰分析という苦手分野を残して。すると、阪大も京大も重回帰分析の問題が出てきた。「終わった。。。」そう確信した。京大に至っては、出題された問題のすべてが苦手な問題であったから、試験終了後に絶望した。
阪大は不合格だったが、京大は全体の7割の得点を獲得し(面接で9割とれたのが大きかった!)、合格・・・になるはずだったが!なんとこの年、志望していた研究室が人気で補欠になってしまった!!
結局、補欠になったまま合格の連絡が来ることはなく、1浪目の受験は失敗に終わった。なおその直後に第二新卒として不動産に特化した専門職という立場であるがとある鉄道会社が募集していた。しかし、そこにエントリーしたはいいものの、面接で轟沈している。
合格すべくして合格するために全力を尽くしてきたから、双方が不合格となる事態を想定していなかった。3度目の大きな挫折である。しかし、2浪した人材を鉄道会社が採用してくれるというかすかな希望を持って、2浪目に突入することになる。
ここで、かつて勉強が頓挫していた法律の勉強を再開する。2浪した以上は、私に現役生以上の市場価値を見せなければならないと考えた。そうすると、少なくとも予備試験の短答には合格しておかなければやばいよね、、、という発想に至り、法律の勉強を始めたのである。しかし、予備試験合格を独学でできるほど法律の世界は甘くない。では、法律に常に触れられる法律事務所の事務員として再出発するのはどうだろうか。
そこで門を叩いたのが、前職の法律事務所である。面接時、上述した事情により「正社員にはなれない」ことを伝えていたので、面接官となっていた弁護士の先生方からみれば変なやつに見えただろう。
しかし、それでも理系の勉強と法律の勉強を両立させることは至難の業だった。予備試験短答は不合格に終わり、理系の受験も最も得意とする非線形計画(私は非線形計画の分野でKuhn-Tucker条件のところまで解けるようにしていたが、問題はそのさらに先を行く難易度のものを出してきた)と費用便益分析(NPV,CBR,IRRの算出まではできたが、それ以上はできなかった)で失点し、さらに面接でも失敗したことや、合格基準点が異常に上昇していたことから、本来であれば合格圏内にある得点こそ獲得できたものの、完全な不合格に終わった。
風通しのかの字もない鉄道会社が多いので、3浪した学生を採用するとは到底考えられなかった。こうして、理転は3年間の努力の末に、失敗に終わった。
法科大学院へ進学し、再び法曹の道を目指す
私に残ったものといえば、就活で負担した借金と目も当てられない職歴(非正規としての職歴しかない)だった。この時点で、既に正社員としての内定を400社程度お祈りされている。2浪目に失敗した万が一の事態に備えて、一応「どこでもいいから内定」が欲しかったのだが、誰も内定を出してくれない。
我が国の就活市場に難儀し、心の底から失望した私は、法律事務所での勤務の影響もあって、起業を決意する。ここまで来たら、やむを得ず村上ファンドのように鉄道会社を買収するしかなくなった、と考えたのである。
しかし、起業するとはいえども、スキルがない私は起業のしようがない。しかも、先の就活のためだけに地球を約3週するほどの距離を国内で飛び回り、時にはヘリをチャーターし、時には豪華な会議室まで予約したものだから、数百万円を就活で浪費してしまったため、お金もない。というか、その数百万円で起業資金は賄えたはずだから、なおさら口惜しい。はじめから起業していれば良かった。
また、鉄道会社を買収するとなると、十数兆円という国によっては国家予算規模の資金が必要となる(村上ファンドとフォートレスをはじめとする外資系ファンドによる鉄道会社買収失敗の影響で、敵対的買収に対する防衛策が強化されたとみるべきだから)。そうすると、何かスキルを獲得して、孫正義氏がかつて黎明期に言ったように、「豆腐のように「1兆(丁)、2兆」と売上を数えるようなビジネスをやる」必要が出てくる。
では、私がそのようなビジネスをするには、どのようなスキルを身につけようか。そこで思い立ったのが、弁護士という職業である。(何なら私の目の前に生の弁護士が毎日いるし。)
と、いうわけで、理転に失敗した私は法曹の道へカムバック。既習の法科大学院への受験を試みるが、なんと想像の斜め上をゆく不合格の仕方をした。書類で落ちたのである。他方で、2023年から司法試験の在学中受験が認められるという情報が入った。そこで私は、「よし、1から法律を学び直して、在学中受験をすることで、実質的に既習と同じ年数で司法試験に合格できるぞ」と踏んだことから、今在学している法科大学院に未修で入学したのである。
そして、上述した通り、就活に疲弊した私は、弁護士が数年間の法律事務所での勤務を経て独立するという弁護士ならではのキャリアがある点に着目し、前職の経験を踏まえて即独に踏み切ることにしたのである。これ以上就活という茶番に付き合っていては、将来のお客様に対して適切なリーガルサービスを提供できないのは明らかだからである。
就活に失敗する人に足りないものは何だったのか
さて、ここからが本題だ。私のような新卒の就活に約7~8年もかけた結果、すべてを失いかけるという就活生がこれ以上出ないように、これから就活や転職をしようとする方に向けて、就活に失敗する人に足りないものは何かを考えてみよう。結論から言うと、それは「経営思考」が足りないかららしい。
この記事によれば、多数の企業にエントリーして内定がもらえない学生と、複数社しかエントリーしていないにもかかわらず内定を獲得している学生を比較して、前者の「就活時応募書類乱射型学生は・・・決して能力が低いわけではなく、真面目ゆえに経営失敗の罠にかかっただけである。だからこそ経営思考を取り入れて「自分にとっての究極の目的は何で、そのためにはどんな就職をすべきか」を問いなおすだけでも就職活動をめぐる悲喜劇の大部分は回避できる」と指摘した。なおこの言葉は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものとのことである。
で、その経営思考が欠如した就職活動を行うと、私のように数百社へエントリーし、謎の人材業者に踊らされ、全国各地を飛び回りながら、数年では到底回収が不可能なほど、貴重な資金を失う結果に陥るのである。
しかし、経営思考が足りない就活生が悲劇に遭う、とはいうものの、そのような経営思考を意識して就活に取組んだ社会人は世の中にどれほどいるんだよ、、、という話である。逆に、このような経営思考を用いて就活をしている学生を嫌悪する会社も、私の経験上少なくなかった。就活でいう「JTC」にその傾向が大きく、ざっくりまとめて話すと「経営思考なんて現場で培われるものであって、学生時代に学んだことなんて役に立たない」というのが人事の本音らしい。現場思考の会社に経営思考を持込むと、それこそ面接官からみて「頭でっかち」に見えて印象は最悪である。それを鉄道会社の就活で思い知らされた。
では、私は経営思考で就活をすることに対して批判したいのか?いや、それは違う。むしろ私も、これからの学生は入学当初から経営思考を身につけて就活をすべきだと考える。そこで資料として取り上げたいのが、もう一つの記事だ。
経営思考を用いず、運良く大手に就職できた者の末路
サラリーマンには長いものに巻かれるのが正義だとする風潮があるらしい。上述のとおり、私はこれまでJTCから内定を獲得した人材の多くが経営思考を用いて就活をしていたとは到底思えないから、このように経営思考を使わず運良く入社した社員の末路の一端が示されているとみて差し支えない。
大手企業ならではの充実したガバナンスから外れて、中小企業へ転職した人は、「社内の機密情報がすぐ流出したり、業務上の金銭トラブルに巻き込まれるなど、職場が殺伐としていて、これまでの『良識』がまったく通用しない」という憂き目に遭っている。これは、正社員経験のない私から見ても当然のことだろう。私を含めて、内定が獲得できなかった人材には何かしら問題があって、そのような人材が集まる会社に上記のような良識が醸成されるはずがない。
そのような会社から見れば、大手からこぼれてきた人材はさぞ優秀な駒に見えたことだろう。実態としてその人材が大手企業にいるべき優秀な人材かどうかはさておき・・・たぶん優秀ではなかったからリストラの対象になったのではないだろうか。
上述した「経営思考なんて役に立たない」などと考えている人事の末路は、このように悲惨なものとなるに違いない。かわいそうに。
まとめ:環境(ハコ)がその人を優秀に仕立て上げる
これを見ている就活生が、仮に本当に就職しなければ成し遂げられないものを将来の目標としているならば、私は上述した記事と同様に経営思考を用いて就活をすべきであると考える。就職しなければ成し遂げられない目標というものはほとんど存在しないのだが、、、まぁそれは置いておいて。大手企業のような恵まれた環境に、良質な案件は必然的に入ってくる。どこかで頓挫したりするような怪しい案件はほとんどスクリーニングされて現れないだろう。その良質な案件をこなせば、その数でその人が「優秀」であるかのように見える。企業というハコを用いて、自らの市場価値をブラッシュアップさせることができる。
だから私は、その人が真に優秀かどうかはさておき、置かれた環境(ハコ)がその人を優秀に仕立て上げる、といいたいのだ。恵まれた環境こそが、その人を優秀にさせ、それが現実となっている。就活生は、既にこれを「学歴フィルター」という形で経験しているはずだ。
このような老いぼれの戯れ言にお付き合いいただいた、優秀でお人好しな就活生には、一つ私の貴重な経験・情報をお伝えしよう。
企業の中には、「隠れ学歴フィルター」を設定しているものがある。出身大学だけではなく出身高校まで判断したりする企業はまだ可愛いほうである。OB訪問や研究室訪問、実際の就活を体験した気がついたのは、学歴フィルターを原則として旧帝大以上に引き上げたうえで、その中で首席しか取らないというふざけた企業が意外と多くいたことだ。特に、東大や京大以外の学生はこのような企業がいることに注意が必要である。そのような企業であることに気づかず、面接で内定獲得の可能性がないのに面接をさせられている就活生が不憫でならないので、私からの忠告である。
なぜ「ふざけた企業」と言ったのか。それは就職後の仕事で「大学で学んだことは役に立たん」というスタンスのくせに、大学で最も学んだ首席しか採用しないという、矛盾したことを平気でやっているからだ。
では、ふざけた企業の見分け方はどうすればよいか。それは、泥臭く、粘り強くその企業の情報を徹底的に調べ上げ、OB訪問などあらゆる手段を用いて聞き出すしかない。そうすることで、少なくともふざけた企業から就活生の貴重な時間を潰される心配はなくなるはずである。
どうか、皆様の就活がより良いものになることを、私は心から願いたい。
私は、将来の就活生にとって恵まれた環境を提供できるよう、引き続き司法試験合格と即独に向けた準備、そして鉄道進出の足がかりとなる最初の事業を法人化できるよう、積極的に進めていきたい。
※今のところ、私には司法試験突破後に司法修習が待っているので、それまで法人化する予定はありません。というか、勉強が忙しく、拡大する余裕がありません。したがって、新卒・中途の採用も、私の弁護士資格獲得までは行わない方針ですので、悪しからず。