心境の変化(2024.02.04)

期末試験終了後、1日1通のペースで予備試験の過去問を解答している。

科目は適当(ここがあかんのかもしれんが、、、)。解答したものは放置せずに在学中合格者の先輩方や予備試験合格者に次々と押し付けている。

しかし、どういうわけか、私の心に変化が生じてきた。

なんと、だんだん予備試験の問題が簡単に見えてきたのである。単に簡単にみえるだけではなく、問われている論点が少しずつ瞬時に、よりはっきりとわかるようになってきたのだ。

これに伴い、返却されてきた答案の評価も少しずつ改善してきている気がする。

先日、私の数少ない親友が医師国家試験で天文学的飛躍をみせた。社会通念上これを見た一般人は口をそろえて「天才」だの「宇宙人」だの言ってくるのは容易に想像がつくが、彼は決して「天才」ではない。

私は、基本的なことを着実に正確に積み上げてきた努力家の到達点の1つに見える。

正しい努力を、正しい量で、正しいペース(以下、努力3原則としようか)で行えば、この3点がそろえば成績が応えてくれることを彼は証明したのだ。

だが、さきほども言ったように、これを社会では「天才」という。

ここで私が常日頃から口にしていて、周りから理解されない表現を言っておこう。

天才を超えたいか?ならば自分自身が天才になればよいではいか。難しいが、簡単なことだ。」

そう、天才と肩をならべ、それを超えたいのならば、自分がその天才とやらになればよい。なにせ、その天才は自然人だろう?スパコンのような機械でなければ、阪急や三菱といった法人でもないのだろう?ならば簡単だ。

私が、天才になればよい。以上、それだけだ。

天才とは、あくまで社会からの客観的評価にすぎない。したがって、天才と呼ばれている本人は、裏の努力3原則が明るみに出ていないだけで、本来の天才ではないのだ。

「努力できることが天才だ」という人がいるが、それは違うと思う。それは「私は天才とは違う」という免罪符、逃げに過ぎない。

・・・おっと、ブログ書くの飽きてきたな。ちょっと勉強に戻るか。

私のやりたいことは、弁護士としての職務のなかにある!だから何としてでも司法試験に合格してやる!!(なんだこの敵は本能寺にあり的な考え方は、、、)

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著者情報

大学法学部卒業後、電鉄系、法律事務所での勤務を経て、法科大学院へ進学する。果たして筆者は無事に司法試験と司法修習を突破し、「弁護士・外国法事務共同弁護士法人」を設立のうえ、日本を代表する大手事務所へ成長させられるのか!?
とある司法試験受験生のブログです。

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