失敗にひるまない。松永安左エ門氏の思考(2025.03.11)

1月下旬、データサイエンスの最終課題に忙殺されていたのだが、奮闘むなしく修了できなかった。

せめてこれだけでも突破できていれば、少しは努力が報われて心が晴れるのだが、やはり修了のハードルは高かった。

幸いにも、このデータサイエンスは、再履修のような制度があるので、もし機会があれば再チャレンジしてみたい。

私は、今回のデータサイエンスへの進出とその失敗について、後悔はしていない。むしろ、「仕方がない」と割り切って前向きに次へ進もうと考えている。その背景には、小林一三の考え方があるのだが、それだけではない。小林一三の親友と言われた松永安左ヱ門氏の考え方が、私の心を支えた。

(鹿島茂先生が執筆された、私の愛書「小林一三」ではこの表記となっている一方で、池田市議会議員の古川裕倫(ひろのり)先生が執筆された、私の第二の愛書「タカラヅカを創った小林一三と明治人たちのリーダーシップ」では「松永安左エ門」となっている。本記事では、便宜上、「松永氏」とする。)

どういうことか。

詳細は、古川先生の上記書籍の73頁~86頁にあるが、簡単に要約すると、銀行員時代の小林一三が松永氏に対して、自身が証券会社に転職するか否か相談した時のことである。

転職は面白そうだが、新しい証券会社でやっていけるかどうか不安がある、という一三の発言に対して、複数のやり取りを経て、松永氏は、

「小林君は今やって失敗するのと、今やらずに将来後悔するのと、どちらを取るのかね?」
「どちらの仕事が有望であるのか、どちらの仕事が君に合うのか俺には分からん。君自身もやってみないと分からないと思っているかも知れないだろう」
「どっちが自分にとって向いているかという損得ではなく、自分が納得するか、自分にとって後悔がないかを考えるべきではないだろうか」

と答えた。

また、松永氏は、失敗に対して

「意気地さえあれば失敗などは人生にない。そして、失敗によって人は鍛えられるのだ」

といい、仕事に対して

「同じことに対して、やる奴はやるように考えるし、へこたれる奴はへこたれるほうへ考えてしまう

という考えを持っていた。

思えば、私も、これまで歩んできた道を振り返れば、小林一三の書籍を手に取ったその日から、松永氏の考え方が潜在的にあったのかもしれない。

ただ、愛書によれば、松永氏は、物事を諦めることなくしつこく追うタイプであったのに対して、小林一三は、ダメなものは失敗と諦めて次のことに移るタイプだったという。

私は、どのような人になりたいか。今後とも模索していきたい。

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著者情報

大学法学部卒業後、法律事務所などでの勤務を経て、法科大学院へ進学する。果たして筆者は無事に司法試験と司法修習を突破し、法律事務所を設立できるのか?
とある司法試験受験生のブログです。

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