1月下旬、データサイエンスの最終課題に忙殺されていたのだが、奮闘むなしく修了できなかった。
せめてこれだけでも突破できていれば、少しは努力が報われて心が晴れるのだが、やはり修了のハードルは高かった。
まあ、最終課題提出時に私が心の中で出した結論は、「DXは、はじめからプロに丸投げしよう」というものだった。
ひょっとしたら、私にとってDXやAIというものは、鬼門なのかもしれない。笑
ただ、今の私は、この失敗にひるんでいる(うろたえている)余裕がない。なぜなら、次の失敗を恐れて動けないようでは、近いうちに資金が枯渇して住所を失ってしまい、路頭に迷ってしまうからだ。残念ながら、どれほど算盤をはじき直しても、このままだと東京の生活は、あと3か月で破綻する。それまでに、どうにかして仕事を探さなければならない。
ところで、去年の8月4日「ド戦犯」の記事で、私は「留年が決まった時点で生活そのものが破綻するため、何度もいう通り、私にとって試験というものは、他のロー生と異なり、ある意味命がけ。」と書いた。
また、おととしの12月16日「各科目の展望」では、単位取得に苦戦した家族法について「私の命は家族法に握られてしまった。」と書いた。
この他にも、私は事あるごとに「単位こそ、私の命そのものだ」といえるような発言を繰り返していたと思うが、当時の読者の皆様は、「そんな大げさな、、、」と思っていただろう。しかし、今日、私が「単位こそ、私の命そのものだった」と読者に語れば、どうだろうか。
きっと、この2年間、私の記事を読んできてくれた皆様は、この言葉の重みに、はっと気付かされることだろう。
閑話休題。
私は、今回のデータサイエンスへの進出とその失敗について、後悔はしていない。むしろ、「仕方がない」と割り切って前向きに次へ進みたい気持ちで一杯である。その背景には、読者の皆様もお気づきの通り、小林一三の考え方があるのだが、それだけではない。小林一三の親友と言われた松永安左ヱ門の考え方が、私の心を支えたのだ。
(鹿島茂先生が執筆された、私の愛書「小林一三」ではこの表記となっている一方で、池田市議会議員の古川裕倫(ひろのり)先生が執筆された、私の第二の愛書「タカラヅカを創った小林一三と明治人たちのリーダーシップ」では「松永安左エ門」となっている。本記事では、便宜上、「松永氏」とする。)
どういうことか。
詳細は、古川先生の上記書籍の73頁~86頁にあるので、ぜひ買って読んで欲しいが、簡単に要約すると、銀行員時代の小林一三が松永氏に対して、自身が証券会社に転職するか否か相談した時のことである。
転職は面白そうだが、新しい証券会社でやっていけるかどうか不安がある、という一三の発言に対して、複数のやり取りを経て、松永氏は、
「小林君は今やって失敗するのと、今やらずに将来後悔するのと、どちらを取るのかね?」
「どちらの仕事が有望であるのか、どちらの仕事が君に合うのか俺には分からん。君自身もやってみないと分からないと思っているかも知れないだろう」
「どっちが自分にとって向いているかという損得ではなく、自分が納得するか、自分にとって後悔がないかを考えるべきではないだろうか」
と答えた。
この考え方は、これまでの私の生き方と合致している。やって失敗するか、やらずに後悔するか。私は、前者の道を歩んできた。
また、松永氏は、失敗に対して
「意気地さえあれば失敗などは人生にない。そして、失敗によって人は鍛えられるのだ」
といい(意気地なしじゃないと「失敗」しないから鍛えられないじゃん、といったクソリプはやめてくれよな!)、仕事に対して
「同じことに対して、やる奴はやるように考えるし、へこたれる奴はへこたれるほうへ考えてしまう」
という考えを持っていた。
思えば、私も、これまで歩んできた道を振り返れば、小林一三の書籍を手に取ったその日から、松永氏の考え方が潜在的にあったのかもしれない。
ただ、愛書によれば、松永氏は、物事を諦めることなくしつこく追うタイプであったのに対して、小林一三は、ダメなものは失敗と諦めて次のことに移るタイプだったという。私は、ひょっとしたらこの2日の思考を足して2で割って、変な方向に飛んでいくタイプの人間かもしれない。
このように、データサイエンスは私自身がいじるべき領域ではないと割り切って、納得して撤退することができた。もしもデータサイエンスに飛び込まなかったら、私はきっと後悔していただろう。
心と身体はまだ完全に壊れていない。壊れる前に、正真正銘、命がけで内定を勝ち取らせてもらう。他の就活生(サラリーマン)には悪いが、私が未来を生きるためだ。許せ。