授業の中には、「予習不要」だが「質疑応答をする」という授業がある。なるほどその教授の仰るとおり、形式的意味での「予習」は不要と捉えて良いだろう。
しかし、問題なのは「質疑応答をする」という点だ。いかに優秀な人間であっても、前提となる知識がなければ質疑応答に答えられない。つまり、「予習不要」という文言を素直に受け取ってはならない。
私はかかる表現に対してこう解釈した。すなわち、「予習するまでもなく身についているはずの知識を前提に質疑応答をする」と。予習をしている時点で勉強が他のロー生よりも遅れている、と警鐘を鳴らしたいのだろう。
また、とある授業の中において、司法試験を受験するにあたり「敵は他大ロー生」という表現があった。これに関して、私は到底受け入れられない(まあ、即独について否定的な先生だったから、もとから価値観の合わない先生だなぁとは思っていたけど)。大手法律事務所等の就活ならまだしも、敵は司法試験のはずである。他大ロー生を意識するあまり自身の勉強がおろそかになっては意味が無い。敵の趣旨が司法試験の論文の相対評価を意識したものならなおさらである。
むしろ、私がそうしているように、他大ロー生とは積極的に連携をとるべきだ。少人数ながら、彼らは司法試験合格という共通認識を共有できる大切な「仲間」だ。早稲田や明治、同志社や立命、阪大などには、私の所属するロー以外の仲間が多くいる。答練に参加したり、東西の垣根を越えた勉強会を開いたりするのはもちろんだが、まして他のロー生を敵(ライバル)と認識してそこに意識を向けるなど、言語道断である。司法試験合格という目的を見失うからである。(だから弊ローは合格率低いんだy、、、おっと誰かきた)