(今日はちょっと長いです。明日から28日までブログを休むので。)
これから企業法務に携わろうとする人間にとって、企業の不祥事対応という分野は、決して逃れることのできない分野の一つである。
そうであるならば、近年の不祥事に関する事例に少しずつ関心を向ける必要があるのではないだろうか。
本件で私が気になっているのは、タイトルにある通り、企業が行う不祥事そのものの激甚化である。どういうことか?
「激甚化」という言葉を聞くと、「自然災害」を連想するだろう。自然災害は、人間の力では決して撲滅することのできない現象の一つである。例えば、巨大地震に対して、いつ起きるかを予測し、耐震性の高い建物を建築したり、津波に有効な防波堤等を整備したりすることはできても、巨大地震そのものを人間の力で撲滅することは不可能であろう。
企業の不祥事も、そのような意味で、不祥事そのものを撲滅することは不可能である、と、私は考えている。当たり前だが、企業の信用を失墜させるような従業員に内定を出したい企業はこの世のどこを探しても存在しない。ということは、その会社の入社を強く希望する数多の就活生を蹴散らして、内定という企業からの信頼をつかみ取った優秀な(・・・と思われていた)従業員が、昨今にいう不祥事を起こした、と捉えるべきである。いかに優秀な従業員を採用しても、決して不祥事を起こさない従業員を採用するのは不可能であって、そうであるが故に、その従業員が引き起こす不祥事そのものの撲滅もまた不可能である、というロジックだ。
だからこそ、不祥事が発生した場合の対応が重要なのであって、不祥事対応こそ、経営陣をはじめとする責任者が企業の信頼、ひいては毀損された企業価値を回復させる最大のチャンスなのである。したがって、不祥事対応は、この世に「ないとむしろ困る」重要なものなのである。
さて、最近の企業の不祥事を見るに、その企業で発生した、たった1つの不祥事がもたらす社会への影響が甚大なものになってきている、と私は感じている。具体的には、企業そのものの価値を毀損するにとどまらず、同業他社のビジネスモデルそのものを破壊するような不祥事をいう。
例えば、これまでの不祥事は、(少なくとも世間一般からは)当該企業の信頼を一時的に失墜させる程度の不祥事にとどまっていたように思われる。
・某会社の子会社が、事業に使用する高速船に浸水等が発見されたにもかかわらずこれを隠蔽して運行(懲戒解雇・事業撤退)
・某会社の子会社が、とある業務で費用を過大請求する不正行為をする(親会社の社長人事の撤回)
・某会社の子会社が、パワーハラスメントを受けた従業員の自殺を巡る問題で、親会社が不適切な対応をする
・某会社の、有価証券報告書の虚偽記載が発覚(上場廃止)→判例
・某会社の子会社が、五輪の入札談合をする(取締役ほか起訴)
以上に上げた事案は、(親会社の業界が)全て同一の業界から発生した、極めて重大なものかつ規模が大きいものであるが、いずれの事案も同業他社に対する影響という観点だけにフォーカスするのであれば、正直そこまで大した影響にはなっていない。
では、以下の場合はどうか。
・某会社の人事部1名が、自らの(優越的)地位を利用して、就活生に対して不適切行為に及んだ(懲戒解雇)
・鉄道車両の輪軸組立時に、記録簿を改ざんする不正を行った(一時的に全貨物列車運休(2024年9月11日))
・銀行の支店の店頭業務責任者が、その業務により管理していた貸金庫から顧客の資産を窃取した(従業員逮捕・他社の同業に対する事業撤退)
・企業の従業員が顧客に対し強盗殺人未遂・現住建造物等放火をした(従業員逮捕・有価証券報告書に『役職員や・・・第三者・・・の犯罪・・・』による事業リスクを追加)
後者で列挙した各事案は、その不祥事が当該企業にとどまらず、業界におけるビジネスそのものを根底から破壊しうる事態にまで発展している点に、大きな違いがある。なお、ビジネスそのものを根底から覆したという事案でいうと寿司の事案が挙げられる(回転寿司が全国的に回らなくなったという意味で、ビジネスモデルを根底から破壊したものといえる)だろうが、こちらは当該企業の「従業員」がした行為「ではない」ため、この話の射程外である。
人事部の就活生に対する不適切行為により、その企業・業界はもちろん、全国の就活におけるOB訪問制度の厳格化(個別でのやりとりを禁止したり、そもそもOB訪問をしないと明言したりする企業の出現)が図られた。
輪軸組立不正の事案では、点検のために全国の全ての貨物列車が運転を見合わせる事態にまで発展したが、これは全国の物流の中でも「大動脈」となる部分が一時的にストップしたことを意味する。あえて大げさにいうならば、この不祥事で、全国民の生活を根底から脅かしかねない事態に発展しかけたことになり、その影響は全業界に波及したといえる。
銀行の貸金庫窃盗の事案では、皆さんもご存じの通り、不祥事が発生した当該企業「ではない」同業他社が貸金庫のビジネスから撤退した。貸金庫のビジネスモデルそのものを見直すべきレベルの不祥事に拡大したと評価できよう。
また、従業員が犯罪行為をするリスクを事業リスクとして有価証券報告書に記載した点については、世間一般からみれば、「自社における従業員教育の不始末を、あたかも自社が被害者面してリスクとして捉えるとは、極めて不誠実だ!」などと批判されかねないように思えるが、私はそうは思わない。なぜならば、上述のとおり、「従業員が不祥事をする」リスクを撲滅できる企業は、全世界どこを回っても存在しないからだ。当たり前の事実をあえてリスクとして明記しただけに過ぎないのだ。だが、従業員による行為で自己の生命・身体・財産を脅かされるのはたまったものではない。結果として、当該会社では、自宅訪問に関しては事前承認制を採用するなどの改革がなされ、少なくともこれが徹底されていれば当該会社の「飛び込み営業」は撲滅されてしまったことになるから、その意味で、「ビジネスモデルそのものを破壊した」といえる。
以上のように、たった1人の不祥事であっても、その不祥事の規模が大きすぎて、ビジネスモデルそのものを破壊したり、ここでは取り上げなかったが、1人の不祥事で複数のスポンサーが一時的に撤退した事例のように、会社の存続にかかわる損害を出したりするほど「不祥事の激甚化」が進行しているように思える。皮肉にも、企業においてコーポレートガバナンスが叫ばれるようになった昨今のほうが、コーポレートガバナンスという言葉が浸透していなかった昭和・平成の頃よりも、一つの不祥事の悪質性が高まってしまったといえよう。その「不祥事の激甚化」を、あえて見方を変えて、「昭和・平成で隠蔽されてきた不祥事が隠しきれなくなった結果」とみて肯定的に評価すべきか、それとも「目先の欲望しか考えられない、倫理的な意味で質の低い従業員が新卒の就活で有利に採用された結果」とみて否定的に評価すべきか。それは、読者の皆様の常識と価値観に委ねてみようと思う。
少なくとも、私は、ちゃんと司法試験に合格してから、企業の不祥事にどう手を差し伸べればよいか、考えてみることにしたい。