万が一の備え(2024.01.28)

前回のブログにも書いたように、私はどうしても苦手な科目が1科目だけ存在する。それが、家族法である。
その家族法がFであれば、何度も言うように留年=退学となってしまう。これはひとえに私の勉強の方法がかなり粗末なものだったに尽きる。勉強の絶対的な量そのものについては、これまでの人生の中で最大だったと思う。そう、高校から大学受験対策としての勉強よりも約2倍以上努力したのではなかろうか。

これは誰かが言っていたが、よく「試験前は楽観主義で、試験後は悲観主義でいろ」という話があった。これは、決して舐めた態度で勉強し、試験に臨んでよいというものではない。むしろ、楽観主義でいられる背景として、数値に裏付けられた根拠(例えば、小テストや中間テスト、ブログで記録した勉強内容と時間、フィードバックなど)があることが前提となる。
これに対して悲観主義とは、試験後における自己採点または採点の依頼によって、自己の答案に何が欠けていたのかを反省する主義のことを指す。例えば、刑訴法でいえば、論点に対する規範を完璧に書けなかった、などがこれにあてはまる。そして、GPAに関しては特段の心配をしていない(なぜならA評価をいただいたと確信した科目が複数あるから)。他方で、必修を万が一落とした場合のリカバリーを考える必要がある。想定しうる最悪の事態にどう立ち向かうか?これを試験が落ち着いた今、短期間で考えるべきなのである。

そこで、私がとるべき手段は、万が一留年した場合、第二新卒として就職活動を再開するが、かかる活動の軸をどうするかが問題となる。さすがにこの年齢になって非正規のままいる理由がないので、職歴がつく正社員での内定を目指すことになる(なお、あえて非正規でキャリアを歩んだ理由は、司法試験に合格できれば後述したい。もっとも、司法試験から撤退するようであれば、そもそもこのブログ自体が消滅しているだろう笑)。

で、私が想定している進路は①大規模法律事務所の事務員として、十分な教育を受けながら法律・法務への道を模索する、②法務への道を完全にあきらめて自らのバリュー(市場価値)を極限まで高める道を模索するという、2つである。①は、一度自ら決めた進路を、勉強に失敗した程度で放り投げるわけにはいかないという思いから、かかる進路を信じて年数がかかってもいいから実現したいという小林一三的発想に基づいている(やりだしたならば猛然として突貫する。やりかけてダラダラしていたのではダメだ、という精神)。これに対し②は、思えば約7年間失敗続きだった進路に対する現実を受け入れ、その現実に対して降伏する形で、別な人間として社会人生活を送る、という発想に基づいている。すなわち、この程度で単位を取得できないならば、そもそも法曹としての素質ないよね、なら損切りという観点から撤退しないと取り返しがつかないよね、という妥協的発想に基づいている。(おそらく大学の新卒就活において新卒カードという最強の切り札を使って無事に内定をいただいた方の多数は、かかる妥協の結果から今お勤めの会社等に勤務されていることだろう。
 私が新卒として就活をしていた2021年卒は就職氷河期世代以降の中で最も就職に苦労した世代である。一部の大手企業で採用を中止・削減され、平均約40~50社エントリーしてやっと1社の内定が貰えるという時代だった。私も志望した業界が採用の中止・削減の煽りを受けたため、このまま文系学部卒で就活をしていてはらちが明かないから、コロナが落ち着いた24卒の理系院卒として就活を再開する心づもりであった(もっとも、理転に補欠不合格という形であと一歩のところで失敗したのは、本ブログ愛読者の皆様はご存じだろう)。聞けば、最近の就活生は10社程度に絞って2~3社の内定が来るそうではないか。まったく、全国各地を就活のために地球1周分以上の距離を飛び回っていた就活スタイルから見ればかなり楽になったものだ。就活のためのプライベートジェットが欲しかったくらいだよ。HAHAHA!!

・・・そういう就活ネタはともかくとして、上記選択のうち私はいかなる進路を選択すべきか。もちろん、私は①を選択する。私の行動原理が小林一三の思想から強く影響を受けているものだからである。
 しかし、内定が貰えないまま生活資金が完全に底を尽きた場合、やむを得ず②を選択することになるかもしれない。もとより法科大学院へ進んだ時点でかかる末路を歩む可能性があることは覚悟のうえであったから、②の進路を選択せざるを得ない状況まで追い込まれるまえに、考えうるすべての手段を尽くして、①に基づくキャリアの立て直しを図っていきたいものである。

なお、今年は進級の可否にかかわらず予備試験を受験するつもりである。カリキュラム上、予備試験短答に合格できるレベルの実力が身についていることが、1年から進級するための目安となっているからである。幸いにも、私に対して親切にされた方々のレベルが極めて高い。とりわけ私は、予備試験や司法試験に上位・超上位(2桁など)で合格された方々に勉強ノウハウを徹底的に叩き込まれた。論文添削もかなり依頼したが、もちろん目を覆いたくなるほど悲惨な点数で返却されてきた。このように、厳しいながらも接してくれた先輩方に非常に恵まれたことについて、この場で感謝申し上げたい。

この恵まれた環境を無駄にしないためにも、やはり予備試験の合格だけでもつかみ取らなければならない。そのような思いで、私はしっかりと勉強を進めていこうと思う。(なおTKC模試が3月下旬に実施されるが、かかる成績が退学後も無事に返却されるかは不明である笑。4万円もかかったのだから、せめて答案返却と成績通知だけはしてほしいなぁという願望がある)

以上、万が一の備えとして、今後の進路を整理した。そういえば前に勤めた法律事務所の先生、しかも尊敬する先生の1人から結構忠告されていたなぁ。しかも小林一三の言葉で。
 「千里先を見ずに、十歩先のことをしっかり見極めて即刻行動に移せ」と。
小林一三流に言えば、できることやれることをまずしっかりとやれ、ということである。
私は、上記の考えに基づき、今私にできることを迷わずやる、という方針で生きてきた。世間から非難されようが、後ろ指をさされて軽蔑されようが、正直些末なことであった。ただ、この四半世紀の人生を振り返ってみれば、自身の理想・将来像があるにもかかわらず、現実に妥協して、やんごとなき人生をダラダラと過ごすほうが、やはり私にとっては耐え難き苦痛そのものだったのだ。
 ローの先輩方のほかにも、遠征の道中でお会いした多数の会社役員の皆様や、西宮神社の福男大会でいつも共に参加した方々、企業内法務部でお勤めの皆様、規模を問わず金融機関や広報の皆様、そして大手・大規模法律事務所にお勤めの先生方など、多種多様な背景を持つ数百名の方々に大変お世話になった。今の私のバリューでは明らかに釣り合わない、幅広い人脈に恵まれた。そう、私の強みはまさにここにある。すなわち、年代・属性のいかんにかかわらず、何人に対しても一定程度の人間関係を瞬時に構築できるという意味でのコミュニケーション能力にあると自負している。そうであるにもかかわらず、ここで自分の人生を後悔することは、上述のとおりお世話になった方々に対する背信行為であると私は考えている。それだけは絶対にしたくないと、ここで明確に申し上げたい。

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著者情報

大学法学部卒業後、電鉄系、法律事務所での勤務を経て、法科大学院へ進学する。果たして筆者は無事に司法試験と司法修習を突破し、「弁護士・外国法事務共同弁護士法人」を設立のうえ、日本を代表する大手事務所へ成長させられるのか!?
とある司法試験受験生のブログです。

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